了譽聖冏上人
中世において浄土教学の体系を整備し、浄土宗の地位を確立させたことから「浄土宗中興の祖」と称えられている。小石川に傳通院を開創して宗門発展の礎を築いた。
傳通院の広大な墓苑内は、桜・梅をはじめとした自然の樹木が豊かで、都心とは思えないような落ち着いた環境に恵まれています。この度、より多くの皆様に、心落ち着くお参りをしていただけるよう新しい墓地区画をつくりました。「文の京」と呼ばれる文京区は、江戸の上屋敷の庭として造られた小石川後楽園他、歴史に名を残す文豪の旧宅などが数多く点在する歴史と文化の街です。お参りに行かれた足で、近隣の散策を楽しんでみては如何でしょうか。平成24年度より墓地整備の一環として、参道整備工事を進めております。現在は南地区の参道整備が完了致しました。今後も皆様にご参拝頂きやすい環境を整えるべく、順次整備をおこなって参ります。
傳通院では、新規墓地として「限定区画」・「新規区画」・「特別区画」・「永代供養」など、様々な墓地をご案内しております。徳川家康公の生母「於大の方」をはじめとした、徳川家由縁の方々の諸廟所に隣接した墓所にて、ゆっくりと眠ることが出来ます。お気軽にお問い合わせください。
傳通院は、学者、文化人、武家関係者など、時代を代表する著名な人物が数多く葬られています
中世において浄土教学の体系を整備し、浄土宗の地位を確立させたことから「浄土宗中興の祖」と称えられている。小石川に傳通院を開創して宗門発展の礎を築いた。
徳川家康の生母であり、傳通院は名そのものが於大の方の法号に由来します。三河の豪族に生まれ、離縁や苦難を経ながら家康を育て上げました。
徳川家康の孫娘。豊臣秀頼に嫁ぎ大坂夏の陣を生き抜き、姫路城主 本多忠刻との再婚など、波乱の生涯を送った女性として知られています。
徳川亀松。江戸時代前期の徳川氏の一族。徳川家光の次男(または三男)。徳川家綱・徳川綱重・千代姫の異母弟。徳川綱吉・徳川鶴松の異母兄。
関白左大臣鷹司信房卿の姫君。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の正室(御台所)。院号は本理院。御遺骨は、高野山大徳院に分骨して納められています。
徳川家康の側室於奈津の法号。家康没後に出家し、清雲院と称して長寿を全うし、江戸初期の奥向き社会を伝える女性。
作家・経済評論家。『団塊の世代』命名者で、万博演出や政策立案にも関わり、社会論を発信し戦後日本の思想形成に影響を与えた。
演歌歌手。『潮来笠』でデビューし清純派スターとして人気を博し、紅白常連として昭和歌謡を代表した。舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』と称された。
工業デザイナー。GKデザイングループ創設者として活躍し、キッコーマン卓上醤油瓶など生活に根付く名作で日本の工業デザインを確立した。
指圧の普及に尽力した治療家。浪越指圧を創始し、「指圧の心は母心」の理念で健康法として国内外に広めた、指圧療法の創始者である。
「日本初のピアニスト」と称される音楽家。猛練習で才能を開花させ、ベートーヴェン演奏で名声を得た明治期の先駆的存在として知られています。
昭和期を代表する日本画家。肉太の線描と明快な色彩で人物表現に新境地を開き、1974年に文化勲章を受章した。桜が好きで皇居新殿の障壁画「桜」を画く。
独立美術協会創立に参加した洋画家。フランス留学の影響を受け、詩情豊かな風景画で昭和洋画界を代表した。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞。
耽美派を代表する詩人・作家。詩・小説・評論に才を発揮し、大正から昭和文学に独自の美意識を示した。【分骨】 1892年~1964年
浄土宗僧で仏教学者。『華厳経』『大般涅槃経』を現代意訳し、仏教思想の普及と教育・社会事業の発展に尽力した。1933年、淑徳高等女学校第五代校長に就任。
浄土宗僧で宗教理念にもとづいて実践を行なった三大社会事業家の一人。淑徳大学を創設し、宗教・教育・福祉の融合によって近代日本の社会福祉の礎を築いた。
明治・大正期の国粋主義的教育者・思想家。昭和天皇に倫理を進講し多くの知識人を育て、後に『人格高邁の国士』と評される。
娯楽時代小説の旗手。剣豪ものから現代小説まで大衆文学を革新し、戦後文学に影響力を持つエンターテインメント性が高い作家。代表作に『眠狂四郎』シリーズ
宗教大学卒業後、内地留学生として神道を研究。佛教図書出版事業に乗り出し、浄土教報社の主筆となってからは「浄土宗布教全書」全24巻を刊行する。
近代日本の漢文学者・教育者。漢和辞典『字源』を編纂し、漢文教科書で戦前教育の基盤を築き、中等教育に多大な影響を与えた。
明治・大正期の歌人。伊藤左千夫に師事し、アララギ派の中心として活躍。生活苦と病を抱えつつ、清澄で哀感深い短歌を残した。
福島県生まれ。東京帝国大学を卒業し、敦煌仏典研究で名高い宗教学者。『三階教之研究』で学士院恩賜賞を受け、社会事業にも尽力。近代仏教学の発展を主導した。
幕末の尊王攘夷派公卿。八月十八日の政変で七卿落ちし生野挙兵に関与。維新後は初代外務卿として明治初期外交を担った。参議・澤為量の養嗣子(娘婿)。
幕末の浄土宗僧。尊皇攘夷を唱え清河八郎ら志士と交流し、傳通院処静院住持として奔走するも、慶応三年に刺客により暗殺された。17才で剃髪、名を琳瑞と改める。
幕末の尊王攘夷派志士。浪士組を結成して新選組誕生の契機を作り、維新の火付け役と称されるが、文久三年に暗殺されました。
大志場磯五郎と腰元のはつは、深く言い交した仲だったが、両人とも肺病を煩い相添えぬ悲しみのあまり、宝永2年(1705)、傳通院の門前で心中して果てた。
江戸前期の水戸藩家老。藤井家養子として徳川光圀に仕え、元禄七年能の会で手討ちとされた。幕臣荒尾久成の四男。
別名:藤井 徳昭。
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